千茂登の物語
北国街道の歴史を見つめ続ける、料亭「千茂登(ちもと)」。玄関の暖簾をくぐれば、懐かしい昭和の時が流れています。どうぞ肩の力を抜いて、「おかえりなさい」の心でお迎えする一期一会のひとときを。
01
創業の精神
屋号に刻まれた、二つの誇り。
「千」の瓢箪と、「茂登」の系譜。
館内に息づく、昭和の面影
北国街道と琵琶湖水運が交わる要衝として、秀吉公が城を構えた長浜のまち。明治15年には日本初の鉄道連絡船が就航し、長浜特産の高級絹織物「浜ちりめん」が全国へ販売され、まちが好景気に沸いた昭和12年(1937年)、千茂登は料理旅館として産声を上げました。
初代は丹波の山奥から裸一貫でこの地に出て、京都での丁稚奉公を経て、長浜の老舗料亭「住茂登」で腕を磨いた人物でした。暖簾分けにあたり、主家の名と秀吉公の馬印「千成り瓢箪」から、屋号の「千」と「茂登」を受け継ぎました。お客様に心より喜んでいただきたい—その創業の精神は、三代にわたる今も変わりません。
02
戦禍の記憶と復興
土に埋めた器は、「未来への約束」だった。
戦火を超えて守り抜いた、美意識のバトン。
静かに佇む、信楽焼のやきもの
戦時中は軍需の影響でにぎわいを見せていた千茂登ですが、客室の多い料亭であったことが災いし、軍需工場の寮として接収されてしまいます。そこで病院長の私邸を借り受けて移り住んだのが、数寄を凝らした佇まいを今に残す現在の建物です。
戦火に包まれた時代、初代は「いつかまた笑顔の宴が開ける日が来る」と信じ、料亭の命である美しい器を土の中に埋めて守り抜きました。土の中で眠り再び陽の目を見た器たちが、千茂登の空間に漂う独特の温もり——先人たちの「祈り」を今に伝えています。
03
空間の物語
街の中にある静かな隠れ家。
昭和の情景が今も息づく、本物の空間。
中庭にたたずむ、陶製の蛙
昭和初期の建具、季節の風が抜ける中庭、十二支が描かれた襖。本物の静けさが漂うこの空間は、訪れる人の心を静かに癒やします。時を経ても変わらない中庭の景色と、歴史を感じさせる佇まいが、千茂登ならではの趣を形づくっています。
数寄を凝らしたこの建物は、のちに買い上げ、ほぼ当時のままの姿を今に残しています。「子どもの頃は古臭いばかりと思っていましたが、この雰囲気を趣がある、懐かしいと言って通ってくださるお客様も多く、何が幸いするかわからないものです」と三代目店主は笑顔で振り返ります。
04
美食の哲学
「天然」であること。「本物」であること。
長浜の冬を凝縮した、至高の鴨すき。
時代を伝える、壁掛け電話
名物として鴨料理が広く知られるようになったのは、長浜の冬の風物詩「盆梅展」の第1回開催が決まった昭和27年のこと。来場者に長浜ならではの味を届けようと、地元の料亭や飲食店数十軒が相談し、鴨料理を大々的に打ち出したのがはじまりでした。昭和46年に琵琶湖一円が禁猟となり良質な鴨の入手が難しくなった今も、千茂登の鴨すきは天然物のみにこだわり続け、岐阜や新潟の猟師と長年の信頼関係を築いています。脂が強く苦手な方も多い合鴨とは異なり、天然の真鴨には脂身のしつこさのない澄んだ旨味があります。
冬の代名詞「鴨すき」には譲れない「掟」があります。シベリアから琵琶湖へ飛来した天然の真鴨、最も美味とされる「青くび」のみを使用。地元契約農家のネギやセリと、秘伝の出汁で炊き上げる一椀に、湖国の冬の厳しさと豊かさを凝縮しました。
「本物」へのこだわりは、鴨だけにとどまりません。夏に供する鮎は伊吹山からの伏流水が流れる生け簀で育て、刺身で味わえるほどの鮮度を誇ります。醤油は明治から続く地元老舗の手作りを用い、うなぎは代々受け継ぐ秘伝のタレで焼き上げる——湖北の自然の恵みと伝統を、そのまま食卓へお届けしています。
05
未来への想い
「働く人の幸せ」が、最高のおもてなしを生む。
地域と共に生きる、100年先の未来へ。
庭石に刻まれた、鯉の意匠
大手量販店の郊外進出などで人の流れが変わりゆくなか、二代目の時代には地元の店主たちと手を結び「北国街道うまいもん処うだつ会」を結成。のちに観光名所となる黒壁スクエアの開設に先駆け、まちの賑わいづくりに力を尽くしてきました。
令和2年のコロナ禍では、緊急事態宣言下で売上が3分の2にまで落ち込む月もありましたが、従来からの仕出しのノウハウを生かし、宅配や弁当の販売に活路を見出しました。客足が戻り始めてからも、すぐには客数を元に戻しませんでした。鴨すきには、お客様の前で作法通りに肉や野菜を鍋に投じていく伝統的な手順があり、それをおもてなしとして楽しみにしてくださるお客様も多いからこそ、従業員の教育が整うまで慎重を期したのです。サービスをマニュアル化せず、従業員のなかから自然に生まれる心遣いを大切にするのも、そうした積み重ねの上にあります。
「小さくても、光る店でありたい」。環境にこだわった近江米を使い、地域の文化を支え、何よりスタッフが笑顔で働ける環境を大切に。温かなおもてなしは心の余裕から生まれます。春の長浜曳山まつりでは子ども歌舞伎の世話やくじとりの日のご接待の大役を務めるなど、地域とのつながりを大切にしてきた千茂登。コロナ禍では地域の方々の利用や支援に助けられ、地域への貢献が地域からの助けとなって還ってくる好循環を実感しました。地域に生かされてきた千茂登として、これからも長浜の未来を紡いでまいります。
千
創業の精神
秀吉公の「千成り瓢箪」と住茂登の系譜。長浜の地域の食材や伝統文化を大切にしています。
庭
静かな隠れ家
季節の風が抜ける中庭と、昭和初期の建具。歴史を感じさせる佇まいが、本物の静けさを届けます。
鴨
天然の鴨すき
シベリアから飛来した天然の青くびのみを使用。長浜の冬を凝縮した、譲れない「掟」の味。